ごはんのこと

ぼんやりと、2日も休んでしまいました
やっと書いたかと思ったら今日も弘前ゴトではありません
お時間のある方だけどうぞ〜


あ、弘前公園の紅葉はいい感じになってきましたよ
菊も咲いています(←ついでっぽいね)










最近、朝のテレビ小説にハマっています
食べることに類希なる才能を発揮する女性の物語
(↑ちょっと表現間違っているかも)


6文字のタイトル、並んだ6色の笑顔
流れるテーマ曲もほんわかしていて
朝からほっこりします
(録画しているので朝に見ていませんが)


これにハマった自分も相当食べることが好きなんでしょうね
最近ずいぶん恋愛モードになっちゃってますが
それはそれで、一生懸命でいい感じで




子供の頃、見ていたドラマに
「愛をひとつまみ」というのがありました
民放の昼のテレビ小説みたいなもので
平日のお昼に15分とかそんな感じだったと思います


細かいあらすじまでは覚えていませんが
全然、料理のできない女性が結婚して
料理研究家になる成長物語だったかと


主人公が料理番組の最後に言う決め台詞が


「(料理に)愛をひとつまみ、加えてください」


子供心にも、素敵だなと思ったような(そうでもないような)






もう20年位前かな、タイトルに魅かれて即買いした料理本


「ごちそうさまが、ききたくて。」


今は料理研究家としてすっかりメジャーに、というか
もはや国際的に活動している栗原はるみさんの本です


栗原家の食卓をそのまま本にしたような内容なので
他所のうちのごはんは、こんな感じなんだ
うち(実家)と似ているものもあれば
全然違うものもあるなー、と面白く読みました




私の母は専業主婦で(ちょこっとパートをしたこともありますが)
料理上手なほうかなと思いますが
他所のお宅の料理って意外と食べる機会がないので
自分のかあちゃんが料理上手かどうか分かり難くないですか?


でも他所のおばちゃんが母の料理を食べて
美味しいというので多分、料理上手なんだろうと


だから、私は割と美味しいものを食べて育ったのかもしれません
それはしあわせなことで、ありがたいことです




私は家に帰ると夕飯準備をしている母に
「今日のごはん何?」と訊く子供でした
あんまり毎日訊くので母には
「あんた、何で毎日訊くの?」と呆れられてました
毎日、ごはんが楽しみな食いしん坊だったんですね
うちは、おやつがなかったので
余計にごはんに執着したのかもしれません


学齢が進んで部活を始めると家に帰る時間が遅くなって
家に着いた頃には、ほぼごはんができているので
玄関入ったところで、においでその日のメニューを当てるという
そんな、ゲームめいたことをしていました
においかいで何だろう?って考えるのが楽しくて
これが、いい確率で当たるので母には「犬っこ」と言われたり
ルーを入れる前のカレーとシチューはなかなか難しかったですが(笑)




家庭のごはんのメニューというのは
栄養のバランスと、家計と、冷蔵庫の残りと
いろんなことを考えて主婦が決めるもの
母はそういう自負が強い人なので
「今日何が食べたい?」などど子供に聞いている親を見ると
「子供に訊くな!」と本気で怒ります
(さすがに知らない人に直接言ったりはしませんよ)
スーパーなどでよく見る光景ですけどね
それは多分、ごくごく普通の光景
もしかしたら、何で怒るの?と言う人の方が多いのかも


子供が毎日、から揚げ、ハンバーグ、ステーキ
そう言ったら、そのままそれがメニューになるのかな
ごはんは、自分が食べたいものだけを食べればいい
子供はそんな風に勘違いしないのかな
親は自分の食べたいものを作る料理人と同じ
子供がそう思ってそのまま成長したとしても
それは子供のせいじゃない、親の責任ですよね




朝のテレビ小説
女学校の卒業の日の先生のお話が素敵でした


「食べなければ、人は生きていけない」


そんなこと当たり前と思ったらそこで終わり
とても大事なことで、意外とわかっていないこと



グルメじゃないし
高価なものを食べるわけでもない
外食もほとんどしない
食べ物に特別なこだわりもありません
でも、食べるということを大切にしたい
大事なことだと思っています


毎日ごはんが食べられること
それは当たり前のことではなくて
ありがたいことで、しあわせなこと




その人の体は、その人が食べたものでできている


だから、ちゃんと食べて欲しいな
そう思ったら、思い浮かんだことを
つらつらと書き連ねてしまいました
まとまりがなくてスミマセン


まぁ、その「ちゃんと」が意外と難しいんですけどね・・・