大工の家系

弘前弘前藩の城下町なので、お城はもちろん
神社仏閣や武家屋敷などの歴史的建造物がたくさん残されているのですが
明治維新以降、文明開化の波にいち早く乗ったらしく
多くの洋風建築が建てられたようです
今でもハイカラなもの(←今こういう表現しますか?)には
敏感な人が多いような気がします
でも単なる流行物好きとは違っていて
ただの流行ものは若干馬鹿にしてる雰囲気があり
中央で超人気のものでも弘前に進出したら
全然ダメってことも結構ありますから
気質的に、ちょっとひねくれた人が多いのかも(私も?)


前置きが長くなりましたけど、その洋風建築
追手門広場にある2つをご紹介します


弘前市立図書館



数ある弘前の洋風建築の中で最も印象的
白い漆喰の壁に緑の窓枠、赤い屋根
思わず「素敵」と言う言葉が出てきてしまいます
でも、機会がなくて中に入ったことがありません















旧市立図書館として建てられた後、喫茶店や下宿として使われていました
弘前大学の近くにあったので学生に人気の下宿だったそうです
でも部屋が8角形なので、ベットや家具の配置が難しかったとか




旧東奥義塾外人教師館



裏側も撮ってきたつもりがこれ1枚しかありませんでした
東奥義塾は県内で最初に作られた私学です
今は1階がフランス料理店として使われています
上下式の同じ大きさの窓が等間隔に並んでいるのが特徴的です
2階は南側から差し込む光がまぶしいくらい
縁側のようなスペースにはブランコがあってかわいらしいです
こういう間取りもいいなと思わせるつくりです


追手門広場は20年ほど前まで東奥義塾高校があった場所です
もはや高校があった時どんなだったか思い出すのが難しくなりました
公立高校は全部学ランだったので、私立のブレザーが大人っぽくて
当時は男子校だったこともあり、女子高生からの人気は抜群でしたね
学年ごとにネクタイの色が違っていて(1年:エンジ、2年:緑、3年:紺)
3年生の紺色が断然格好よく見えました
女子の制服で人気があったのが聖愛高校のセーラー服
先日紹介した弘前学院大学と同系の女子高(当時)
義塾と聖愛のカップルは羨望の的、は大袈裟かな


ちなみに2校とも少子化の波に飲まれてか共学になりました
義塾の女子、聖愛の男子、当時は想像もしていませんでした


洋館の話のはずがいつの間にか思い出話なってしまいました


弘前に残された洋風建築の多くは堀江佐吉さんという
名棟梁の建てたものが多いです
太宰治の生家「斜陽館」もその一つだそうです
弘前藩のお抱え棟梁の家系だった堀江家
堀江組は現在も弘前にある建築会社です
奈良の金剛組ほどではありませんが(比較するものが間違っているかも)
歴史のある建築屋さんです


そういえば、私の祖父、曽祖父も大工でした
北海道に鰊御殿を建てに行ったそうです
今も弘前にある、祖父と曽祖父が建てたという木造の3階建て
弘前で最初の木造の3階建てだと父が自慢していましたけど
あれは本当なのかどうか、今では確かめる術がありません
父も大工になる予定でしたが、諸般の事情で別の職業に
父が大工だったら、私も別の仕事をしていたかな
いや、父の職業が違うと母との出会いがなくなるので
私が存在しないことになりますか


でも、職人にあこがれてしまうのは家系なのかな