言の葉

先日、阪神淡路大震災の時に被災した神戸の方に
インタビューしている番組を見ました
今回の大震災で、被災地にいる人たちが
今、一番必要なものは何だと思うかの問いかけに
一瞬考えて出た答えは


「言葉」


おそらく、インタビューしていたタレントも意外な答えだったのだと思います
私も、被災経験のある方にしかわからない、必需品があるのだろうと
そういうものを、支援できたらいいな、と思って聞いていました




父が生前、病床でポツリと言った言葉が、最近むやみに思い出されます
お見舞いに来てくださった知人が帰った後に言ったこと
「みんな、頑張れって言うんだよな、何を頑張ればいいのか」


何と言えばよいのかわからなくて、静かになった病室で
父を見つめることしかできませんでした


治る見込みのない病気と闘っていた父
もちろん、お見舞いに来てくださった方はそんなことは知らないし
人を励ますなら「頑張って」というのは、ごく普通のことです
でも、やっぱり、もう十分頑張っている人や
これ以上、頑張りようのない状況にある人には厳しい言葉


あれ以来、自分に対して「頑張ろう」は言えても
「頑張って」は、慎重に使う言葉であり
少なくとも、自分よりはるかに頑張っている人には
間違ってもいえない言葉になりました
といっても、自分基準ですけどね




あの大地震から1ヶ月、今日も強い余震がありました
被災地ではないここにいる私にとっては
あんまりいろいろなことがありすぎて
こんなに早い1ヶ月は経験がありません
でも、被災された方にはきっと、長い1ヶ月だったのだと思います
1ヶ月もしたら、いろんなことが前に進んで
皆が復興に向けて歩んでいるのだろうと
簡単に考えていた自分はなんて浅はか


ここにいて、いくらテレビやインターネットで情報を得ても
被災地にいる方の苦しみは本当の意味で理解はできていない
理解できると言ったら、それは嘘だと思います


神戸の人が話していた、被災された方に必要だという「言葉」


でも、考えても考えても考えても
どんな言葉をかければよいのかわからない
あの日、父のあの言葉を聞いてから
思いもかけず、人を傷付けるのが怖くて
励ます、という行動自体が苦手になってしまったのかもしれません


こうやって、不特定多数の人が読むことができる媒体を使って
うかつなことを言うのが怖いのだ、たぶん




14時46分、黙とうをしながら、何を思ったのか
ダラダラと長い時間をかけて答えのないものを書きつくる
自分の行動を見つめなおしながら、今日が終わりそうです




合掌