桜に思うこと

弘前、快晴です



晴れていますが、強風です
ここ一週間くらい、風が強くて
風が嫌いな私は、外に出るのが億劫





写真を撮りはじめてすぐ
子供3人にお母さんとおばあちゃんと思われる団体さん?登場



ダーッと走ってきたので
子供写っちゃいました
顔写ってないから
(無断ですが)
載せてもいいですよね


「そっち行っちゃダメ」みたいなお母さんの声も聞こえたけど
そういうのがわかる年齢とも思えなかったし
まぁ、いいか、わんこと遊びたいだろうから
と、その場を離れて公園の中をぷらぷら



川向こうの公園に梅が咲いていました
梅、ですよね?桃?桃っていつ咲くの?
遠くてよくわからないけど、綺麗








川の手前は電鉄が走っています
弘南鉄道大鰐線、温泉に入りたいな
大鰐は温泉町ですが鰐はいません
何で大鰐って名前なんだろう?







子供たちもなかなか遊び終わらなそうだし
仕事帰りに寄ったから、ハイヒールが原っぱに埋まって
歩きにくいことこの上ないし、そのまま帰ってきてしまいました



昨日、調べ物をしていて偶然見つけたツイッター
知り合いのものでした
宮古に支援隊として派遣されているらしいです
弘前市からは岩手県野田村に派遣していますが
青森県岩手県宮古市に派遣しているのですね
大変な業務でしょうけど、仕事で行けるというのが
少し羨ましく感じてしまいます、馬鹿者です
ボランティアと違い、責任も大きいのでしょうけど
ツイッターには返信せずパソコンの画面に向かって
「お気をつけて」とだけつぶやきました


毎日毎日、被災地から届く情報、被災地への応援のメッセージ
見るたびに、聞くたびに、泣いてしまう自分に
―これは被災者に向けられたメッセージ、お前にじゃない―
勘違いしてはいけない、と戒める
今、泣いてもいいのは被災された方たち
被災地の人の気持ちになって考えるのと
勝手に、被災者の気分になることを混同してはいけない
流れてくる映像は、現実を映しているが所詮映像でしかなく
映像からは伝わらないたくさんのもの
におい、温度、2次元では伝わりきらない奥行き、大きさ広さ


私は被災地という現実に身をさらしている訳ではない
本当の現実を知らずに、勝手に涙など流すのではない
現実はもっと過酷な世界であることを認識しなくては
被災地にいる方たちに失礼だろう


今、私がやらなくてはいけないことは泣くことじゃない


わかってはいても、流れる涙はやはり止まらない




昨日、朝のテレビ番組で弘前市長が言ってたこと
「東北の復興は弘前から」
さくらまつりに140人の被災者を招待することが決まっているらしいです
「これを見れば必ず元気が沸いてくる」
招待されて弘前まで来られる方たちはきっとそう
それくらいの力は弘前の桜にはあるとは思う


でも、ここには来られない何十万人(もっと多い?)の被災された方々は?
心理的にも体力的にも時間的にも桜を見る余裕があるのでしょうか


弘前がさくらまつりをやることを支持してはいますが
必ず元気が沸くとか、復興は弘前からなんて
あまり大きなことを言われると、ひねくれものの私は
ちょっと待って、と思ってしまう


きれいごとを言わず、さくらまつりは弘前が必要としてやるもの
観光を主要な産業のひとつとしている弘前
絶対やらない訳にはいかないもの、それが正直なところ
地域の活性化のためです、復興支援なんて言わなくても
堂々とさくらまつりをやればいいと思います
被災地が復興したときに、被災地ではない東北が元気であること
それも必要なことだと、それでいいのではないかしら
少し前に放送していた別の番組でも弘前のさくらまつりを取り上げていて
その中で弘前観光コンベンション協会の方が言っていた
弘前で頑張ったもの(収益?)を被災地にサイクルする」
という意見の方が私にはしっくりきます




負けないように、くじけないように


ipodでシャッフルして聞いていたはずが
ここから抜けられなくなって、1曲リピートに変更
結局、また、泣いてしまった



郡山では桜が満開、宮古でもほころび始めているとか
弘前で桜が咲くのは予想では10日後、満開は2週間後


さくら咲け、東北に、弘前に、君の胸に・・・