別れの季節

雪が降りました、5cmくらい?
なかなか、引っ張りますね今年の冬は
来週の天気予報にもたくさん雪だるまがいますよ
とても、4月の天気予報に見えません


雪が降っても、寒くても、今日は3月31日
春は別れと出会いの季節
私の職場でも、退職する人、転出する人が何人か
皆さん、差し入れしてくださるので
机の上にはたくさんのお菓子が並びます



これはほんの一部ですが
(食べてしまったので・笑)


弘前オリジナルのものだけ


弘前のオリジナルといえば・・・




今日飛び込んできた悲しい知らせ
長年、市民に愛されてきたお餅屋さんのご主人がお亡くなりになりました
まさに、オンリーワンの味、その店でしか食べられないお餅でした
まだまだお若く、あと10年20年は続けられるものと思っていました
お店が閉まっているので、心配していたのですが
病床でも「餅が作りたい」と仰っていたと伺いました
技の伝承をする間もなく、逝かなくてはならない
その無念さはいかばかりだったかと、胸が痛みます
心よりお悔やみ申し上げます






父が転勤族だったので、子供の頃、引っ越すことが多くて
仲のよい友達とも2〜3年、長くても5年でお別れというのが当たり前
そのせいか、別れ=悲しいというイメージがなく
別れに対して鈍感な子供時代でした
中学生までは卒業式で泣く意味も分からなかったくらい


県外に進学する友達の見送りに駅のホームに集まったときも
クラッカー鳴らして盛大に見送ったな〜
(ちゃんと掃除して帰りました・笑)
それでも、大人になったせいか
「旅立ちのホーム」なんて歌詞を聞くと
あの時は感じなかった何ともいえない切なさが付き纏うのは
ただのノスタルジーなのかしら?


春は別れというより旅立ちのイメージの方が強くて
悲しみより、ある種の清々しささえあったり
私にとって春は別れの季節であっても
決して悲しい季節ではないのです


今まで毎日のように会っていた人と会えなくなるのだから
悲しくないと言えば、それは嘘になるかもしれないけれど
永遠に会えなくなるわけでもなし
会いたければまた会えばいいし
手紙も電話もある、まして今ならメールもある


卒業や転勤、引越し
別れを別れにするかしないかは自分次第
繋がっていようという気持ちがきちんとなければ
それは永遠の別れになってしまうかもしれないけれど
同じクラスだった、同じ職場だった、お隣さんだった
そういう何の努力なしに会える境遇から放たれたとき
繋がりは自分で努力して継続するものじゃないかな


努力、というと無理しているみたいに聞こえるかもしれませんが
そうありたい、というところを目指すためには
やっぱり、努力は必要でしょうから


だだね、片思いになってしまったら
それは、なかなかに難しいですよね・・・
物理的な距離じゃなくて、心の距離の方
それは、また別の問題ですからねぇ




唯一、死だけが永遠の別れ
だから、悲しい




ちょっと、まとまりがなくなってしまってスミマセン





咳のし過ぎで腹筋イタイ・・・